仕事も辞めて、完全にうんこ製造機になってしまっている状況なので、たまにはふと思ったことでも日記にしようと思った次第です。
表題みたいな話を何故しようと思ったかと言うと、ここ最近の一次産業(創作)っておかしくないか?と思ったわけです。
※先に断っておきますが、一部職業の人を罵倒したり、見下すつもりは一切ありません。
何がそう思わせたかというと、一定の職業名を出してしまいますがVtuberの方や動画配信者の方の収入と畜産酪農家や漁業などの年収に差がありすぎないか?と思わう訳です。
何度も言いますが、別にVtuberや動画配信者が楽して稼いでいる!というつもりはありません。
しかし人類はいつから娯楽にここまで対価を支払い、生活必需品を軽視するようになったのでしょうか。
極論を言いますがVtuberや動画配信者が居なくても死ぬことはありませんが、農家や漁師が居なくなれば我々は瞬く間に飢え死にします。
少なくとも現代の人間に農業の基礎知識などほとんどありません。なくても生きていけるというのは良い時代になったとも言えるのですが。
ともすれば、ここを国が守ってあげるべきだというのが意見としてあがるでしょうが、実際そうなっていないのが現実。
悲しきかな、資本主義の末路として金になるものにしか金はつぎ込みません。
金さえ払えば食料が手に入る富裕層からすれば、飢え死になんて想像が出来ないのでしょう。
ではVtuberや動画配信者から税金で巻き上げて、農家や漁業などに金を回せばいいのでしょうか?
私はそうとは思いません。何故なら彼らは彼らで一次創作者として成り立っているからです。
ネットキャバクラだの色々言われてますが、他人を楽しませるという技術はある意味他人には真似の出来ない芸なのです。
(まあ他人を不愉快にさせたり、物を無駄にして得る楽しみというのは如何なものかと思いますが・・・)
だから何度も申し上げますが、賞賛こそすれど彼らを非難するつもりはありません。
私は娯楽と生活必需品における需要と供給のバランスこそ重要だと思うのです。
今の日本では安く簡単に食が手に入る。安心して眠ることが出来るし、ポルノにも困らない。つまり食欲も睡眠欲も性欲も簡単に満たされる。
そうして行きつく先が娯楽です。
良いと思いますよ。それが本当に適正な形で成り立っているのであれば。
しかし現実はそうではない。
娯楽につぎ込んで食に回すお金がないという状況で食の価格が上がって安いものに手をだす。
そうして粗悪品を手にしては文句を言う、もしくは価格転嫁に逆切れを行う。これは適正なのでしょうか。
別に娯楽を享受するなとは言いませんが、娯楽と生活必需のバランスがおかしくなってないかと思うんですよね。
仮にも食品関係に3年程度勤めてきた人間からすると、もはや日本の食品関係は相当頭打ちです。
完全に余程の強い一次産業者やメーカーではない限り、海外業者(輸入品)があるからと負けてしまいます。
みーんな安く売るために買い叩く、安ければ安いほど売れるからではない、安くないと売れないから。
そうして不正や過度な割引を行って、潰れていく。だって消費者は値上げしたら買ってくれませんから。
それが食品という名の生活必需品であろうと例外なくです。
ずっと言われている話ですが、戦争になって物が入って来なくなった瞬間に日本の食の安定ははほぼ一瞬で瓦解します。ウクライナ・ロシア戦争でそれを肌で感じたはずです。
小麦粉から油からどんどん値上げをされていく。歯止めがかからない状態なんです。
ところがどっこい、誰もその事に対してまともに取り合わない。
だって困るほどじゃないし、誰かなんとかしてくれるだろうし。
さて、みなさんは生活保護についてどう思いますか?
困ったら行きつくところ?セーフティネット?社会のお荷物?
人それぞれ思うところはあるでしょうが、この場でその議論は置いておきましょう。
私個人の意見としては「生殺与奪を国に握られている人」です。
これも先に申し上げておきますが、障害をお持ちの方、働きたくても働けない方を誹謗中傷するつもりは全くございません。
あくまで客観的に見た個人的な感想です。
また生活保護の趣旨は以下の通り、厚生労働省に規定されております。
「生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。」
ではこの「健康で文化的な最低限度の生活」とは誰が規定するのでしょうか。
それすら国なんですよね。我々は抗議や意見することは出来ても決定権は国にあります。
つまるところ、国に心臓を握られているわけです。本当に困った時に生活保護者を優先的に国は助けてくれるんでしょうかね。
長々と話をしてきましたが、我々はある意味歴史の生き証人となるのかもしれません。
恐らく近いうちに日本は食糧難になるでしょう。だって誰も食糧を守ろうとしてませんから。
一次産業を馬鹿にしたツケというのは長い年月を経て、やってきます。
娯楽に伴う相対的貧困の末路は巡り巡って自分や子供に返ってくるのです。
娯楽に使うも生活必需品に使うも、それは富を持つ者の自由です。
しかし自由の裏には責任が伴います。
一体、我々はどこへ向かっていくのでしょうね。